衆議院議員 松野ひろかず HomePage

  

「自由民主」 私の青春時代

賑わいを見せる赤坂サカスの外れあたりにTBSのスタジオに通じる坂があった。早朝の六時過ぎにとぼとぼと登っていた。当時担当していた八時半から始まる番組内の生CMの準備のためだ。

 大学を卒業してメーカーの広告制作室に入った。早稲田大学を選んだのも「映画をやるなら早稲田でしょ」という想いであったし、当然映画会社に就職するつもりだった。悲劇は、その当時は日本映画が最も苦しかった時期であり、各社とも制作部門の採用がなかったことだ。訪問しても門前払いで途方に暮れていた。そんな時、ある先輩に「CFプランナーを募集する会社があるけど受けてみるか」と声を掛けられた。「二時間の映画と三十秒のCMの違いはあるが同じ映像の仕事だし、とりあえずいいか」という今から考えればかなり軽い気持ちでクリエイティブ試験を受けたら、運良く受かった。

 しかし入ってみると厳しく、かつ面白い。早朝から深夜まで休み返上という生活だったが充実し、勉強になった。社会人としての基礎はこの時に教えられた。日本の企業の教育力は大したものだと思う。

 夢中で制作の仕事をしていた私が、なぜ政治を志したのかという理由は少し変わっているのかもしれない。「自分の考えたコンセプトがCMを通して人々の生活のごく一部でも変えていくことがこんなに面白いなら、社会全体へコンセプト提言をして時代を進めていく政治というのは面白いかもしれないな」と考えた。とはいえ自分の周りを見回しても政治関係者は誰もいない。どうしたものかなと考えていた時、「松下政経塾という政治の勉強ができるところがある」と教えられ、入塾した。

 塾生活はサラリーマン時代とは全く違った世界でいい経験だった。会社にいた時はポロシャツとチノパンで過ごしていたので、政経塾に入って初めてネクタイを締めた。政経塾を出た後も政治の世界に入るあてもなく、企画の仕事で食っていたが、平成七年、自民党千葉県連が候補者公募を実施すると聞き、政治の世界の門を叩いた。初戦の落選もあったが、多くの方々のご支援のもと、何とか政治活動を続けている。有り難いと思う。

 現在、党のPTで「フリーター問題」に携わっているが、自分の二十代を振り返ればフリーターのようなものだった。大事なことは「本人が夢を持てること、チャンスが与えられること」だ。この仕事にやりがいを感じている。

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